アーシェラ・K・ル=グウィン『夜の言葉―ファンタジー・SF論』
『「人間は昼の光のなかで生きていると思いがちなものですが、世界の半分は常に闇のなかにあり、そしてファンタジーは詩と同様、夜の言葉を語るものなのです」意識下の闇の世界を旅して発見した夢の素材を言語化する―。『ゲド戦記』『闇の左手』の作者が、自らの創作の秘密を語りながら、ファンタジーとサイエンス・フィクションの本質に鋭く迫ったエッセイ集。』
竜の物語に耳を傾けない人々はおそらく、政治家の悪夢を実践して人生を送るよう運命づけられていると言っていいでしょう。わたしたちは、人間は昼の光のなかで生きていると思いがちなものですが、世界の半分は常に闇のなかにあり、そしてファンタジーは詩と同様、夜の言葉を語るものなのです。
昔々のその昔、今からざっと十五年位前のRPGマガジンの桂令夫のルーンクエスト記事(いつもの先輩といつもの後輩がオーランスについて語るやつ)でその名を知ってからずっと探し続けていた本。実は昨年のうちに復刊されていたそうですが、つい数日前までそんな事実全く知りませんでしたよ。畜生、自分の低いアンテナがにくいっ!
「だから、言ったじゃない」などと言う人物にかつて英雄がいたためしはありません。今後もけっして現れないでしょう。
そうしてやっと手に入れたこの本。ル=グウィンのファンタジーやSFの本質と可能性について、あるいは自らの創作のプロセスについて、さまざまな話題を各地での講演をベースに纏めたエッセイ集ですが、なるほどこれは面白い。
これに書かれたル=グウィンの考え、ものの見方を踏まえたうえでもう一度、彼女の著作を読んでみよう。
すぐれたファンタジーや神話や昔話は実際夢に似ています。それは無意識から無意識に向かって、無意識の言語――象徴と元型によって語られます。言葉そのものは使われても、その働きは音楽のようなものです。つまり字義を追い、論理的に組みたてて意味をとらえる過程をすっとばし、あまり深くに潜んでいるので言葉にされることのないような考えに一足とびに到達するのです。こうした物語は理性の言語に翻訳し尽くすことはできませんが、論理的実証主義者でベートーヴェンの第九交響曲を無意味だと思うような人でもなければ、だからこの物語には意味がないと言いはしないでしょう。こうした物語は深い意味に満ちていますし、利用価値も高い――実用的とさえ言えるのです。倫理という点で、洞察という点で、人間的成長という点で。
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