今日の読了本『死ぬことと見つけたり(上・下)』
・隆慶一郎『死ぬことと見つけたり(上・下)』
『常住坐臥、死と隣合せに生きる葉隠武士たち。佐賀鍋島藩の斎藤杢之助は、「死人」として生きる典型的な「葉隠」武士である。「死人」ゆえに奔放苛烈な「いくさ人」であり、島原の乱では、莫逆の友、中野求波と敵陣一番乗りを果たす。だが、鍋島藩を天領としたい老中松平信綱は、彼らの武功を抜駆けとみなし、鍋島藩弾圧を策す。杢之助ら葉隠武士三人衆の己の威信を賭けた闘いが始まった』
『鍋島藩に崩壊の兆しあり。藩主勝茂が孫の光茂を嫡子としたためだ。藩内に燻る不満を抑え切るには、光茂では器量が小さすぎた。老中松平信綱は、不満分子と結び、鍋島藩解体を画策する。信綱の陰謀を未然に潰そうと暗躍する杢之助たち。勝茂は死に際し、佐賀鍋島藩存続のため信綱の弱みを掴め、と最期の望みを託した。男の死に方を問う葉隠武士道をロマンとして甦らせた時代長編』
隆慶一郎版「葉隠」。
事に当たって命を捨てるどころか、最初から死人として生きている鍋島藩のいくさ人たちの話。生き生きと描かれた死人の物語。
すげぇ面白かった。
毎朝毎朝、布団から出る前に頭の中でさまざまな死に方をシミュレートし、朝一番から「死んでおく」ことで、死ぬかも知れない状況に遭遇しても行動をためらわない覚悟を手に入れるという鍛錬を欠かさない鍋島の武士/死人たちの、生死にも損得にも左右されない生き様には心動かされずにいられません。死人ゆえに自由、死人ゆえに果敢、死人ゆえに晴れやか。
『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くぼかりなり。別に仔細なし。胸すわつて進むなり。図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。
二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり。
我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。若し図にはづれて生きたらば、腰抜けなり。
この境危ふきなり。図にはづれて死にたらば、犬死気違いなり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果すべきなり』
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